死別の心をケアするカウンセリング 陽だまりごごろ
いつも、読んでくださっている皆さまに感謝申しあげます。

私にはとっても印象に残っている父子の姿があります。
それは、この地に30年以上、住み着いたあるおじさん。

おじさんの十八番は演歌でこんな歌詞でした。
「お前はどこで生まれたの?言ってはならない言葉です。
苦労話を聞きながら、酒を肴にするあなた。
忘れた過去を思い出し、今日も一人で泣きました」
おじさんは自分の胸中をこの歌に託してきっと泣いていたんだと思います
大分たってから分かったことであるが、何らかの理由で家族を捨てて出てきたことと、
自責の念から一度も会いには行かなかったということ。

おじさんは、癌で入院するが、その時も残してきた家族への連絡は拒みました。
母と見舞いに行き度、「痛い、痛い」とベッドに丸まっていた姿がとても辛そうに思え、
何か心が休まることが無いのかと思ったものでした。

おじさんが逝った後、家族に連絡がいき、荷物を取りに息子さんが来られた。
そして、「お父さんがどんな生活をしていたのか知りたい」と住まいを片付けに来られた。
万年床の下から出てきた、息子さんの幼い時の写真。
息子さんは「僕も色んなことが分かるようになったから、
家を出た気持ちを攻めようとは思いません。しかし、生きているうちに逢いたかった」と
痛恨の思いで言葉を絞りだされた。


この事は「終末期はどうあるべきなのか」を考える時に、
どうしても父の終末期とコントラストがはっきりとしているために考えさせられることとなります。


父は3歳で祖父が離婚したために、母親と生き別れになりました。
しかし、父は母を求めた。
父の母は再婚するが、それでも父の母を求める気持ちは強く、
再婚先の子供達からは「お兄ちゃん」と呼ばれたという。
そして、父は肝硬変で入退院を繰り返しますが、一時期、父の世話を父の母がしています。
母が頼みに行ったらしく、嫁ぎ先も了解し、父は46歳で逝ってしまいましたが
そういうことを考えると、父の終末期は幸せだったのかもしれません。

今もその当時のことを考えると、自分の感情に振り回されて、
父のことを考えているようで考えていなかった16歳の自分。
当時の全ての方に感謝申しあげたい気持ちでいっぱいになります。

この終末期にはとても大切なことが備わっています。
いつかは必ず訪れる別れ。バトンを渡す者、受け取る者、双方が感情にばかり振り回されず、
「よりよい最期」を過ごせるように少し、視点を変えて見たいものです。

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